「稟議はなぜこんなに面倒なのか?」というテーマについて,ヌクレ博士が研究します.
以前,ある社内決裁の説明資料を作っていたときのことです.最初の1枚はサマリー.その後に説明用の補助資料が10枚くらい.さらに後ろには,質問されたとき用の参考資料が大量に付いていました.
全部で約50枚.
先に言っておきますが,これは僕が経験した中でもかなり極端な例です.「大企業の稟議は全部50枚です」なんて話ではありません.ただ,資料がなぜ増えるのかを考えるには,かなり分かりやすい例でした.
しかも,後ろの参考資料がないと説明できないわけではありません.聞かれれば普通に口で答えられる内容も多いし,参考資料の大半は昔作った資料を少し変えたり,そのまま持ってきたりしたものでした.
じゃあ,なんで50枚もあるんだよ.
そして蓋を開けてみると,僕が本当にくだらないと思っているのは資料の枚数ではありませんでした.
決裁のプロセスそのものです.
では蓋を開けてみよう.
稟議資料は,なぜ勝手に太っていくのか
僕の経験では,決裁資料は担当者が一人で勝手に50枚まで育てているわけではありません.上に説明していく途中で,「これも付けておいた方がいい」「これも聞かれるかもしれない」と資料が追加されていきます.
しかも厄介なのが,追加するコストが大して高くないことです.全く新しい分析を求められたら,「いや,そこまで必要ですか」と抵抗することもあります.でも,過去資料から数字をコピペして少し直すだけなら,反抗するより付けた方が早い.
ここがものすごく嫌らしい.
短い資料を出して「準備不足じゃない?」と思われるより,数分で参考資料を追加した方が安全です.質問されて答えられず「そこ検討してないの?」と思われるくらいなら,ありものの資料を後ろに付けておいた方が安全です.
だから担当者の行動だけを見ると,かなり合理的なんです.
でも全員がその合理的な行動を積み重ねると,1分で核心を説明できる話に大量のスライドができます.
組織ってすごいね.みんな合理的に動いた結果,完成品だけ見ると意味が分からない.
大量のスライドより,大量のスライドを前提に説明することの方が面倒
僕は今,昔ほど大量の参考資料を付けません.基本は表のサマリー1枚と,必要な補助資料くらいです.判断に本当に必要な情報が足りなければ,後ろに参考資料を増やすより表へ入れてもらいます.
ただし,何でも1枚へ詰め込めという意味ではありません.
それをやると文字がちっちゃくなります.
8ptの文字で宇宙の真理まで1枚に収め始めたら,もう何のためのサマリーなのか分かりません.
僕が価値が高いと思っているのは,「1枚」ではなく「1分」です.複雑な案件でも,最初の1分で「何を決めてほしいのか」「なぜその判断でいいのか」という核心くらいは伝えられると思っています.
そこで足りなければ補助資料を見る.分からなければ質問する.複雑な論点なら,そこから議論すればいい.
最初から全部説明する必要はないんです.
ところが現実には,説明するために会議を設定し,聞かれるかもしれない質問への資料を用意し,その場で説明すること自体がプロセスになっていることがあります.
資料が十分に詳しいなら読めば分かる.説明を聞かないと分からないなら,資料をそこまで詳しく作る必要がない.
両方やるから重いんです.
決裁がほぼ通るのに,なぜ説明するのか
ぶっちゃけタイム開始です.
少なくとも僕が経験してきた範囲では,決裁の説明まで行って,そこで全部ひっくり返ることはほとんどありませんでした.それなのに説明の場はあります.
じゃあ,その時間には何の価値があるのか.
一つは,偉い人への露出です.説明がうまい人は得します.上の人に顔と名前を覚えてもらえる.その場で質問へきれいに答えれば,「こいつ分かってるな」と思ってもらえる可能性もある.
だから僕も,その仕組みが存在する以上は利用しています.自分だけで説明せず,できるだけ部下を前へ出します.せっかく偉い人の前で話す機会があるなら,部下に目立ってもらった方がいい.
でも同時に,部下からしたら「なんのための説明なんだ」と思うでしょうし,僕も思っています.
本来の目的は決裁のはずです.ところが,決裁がほぼ通るなら,いつの間にか「説明をうまくやること」「偉い人に存在を知ってもらうこと」に別の価値が生まれる.
すると,決裁プロセスを短くするインセンティブと,その場を利用するインセンティブが逆向きに働きます.
目的,どこ行った.
稟議制度そのものには,現場から提案を上げたり,関係者間で情報を共有したりする役割があると研究されています.だから僕も,「稟議なんて全部なくせ」と言いたいわけではありません.
でも,偉い人の時間を使うなら,僕はもっと別のことを話したい.現場だけでは結論が出ない案件とか,他部門を動かしてもらう必要がある案件とかです.
ほぼ結論が出ている話を上手に説明して「承認します」で終わるより,そっちに時間を使ってほしい.
本当の問題は,決裁権限のボーダーが低すぎることだと思う
資料を10枚減らすとか,会議を15分短くするとか,そういう改善も意味はあります.
でも僕が一番変えたいのは,もっと上流です.
決裁権限をもっと下へ渡した方がいい.
もちろん今だって,金額や案件の重要度などに応じて決裁権限には線が引かれています.僕が言いたいのは,線を引くこと自体がおかしいのではなく,そのボーダーが低すぎるんじゃないかということです.
通常の案件まで上へ上げるから,上に説明する資料が必要になる.途中で質問されそうな内容を追加する.過去のトラブルがあれば新しいチェックが追加される.でも,一度増えたチェックはなかなか減らない.
その結果,契約や購買のプロセスそのものがどんどん長くなる.
企業の官僚制を分析したStrategy&の事例でも,多数の上位者が支出承認に参加していたものの,プロセスの複雑さに見合うリスク低減が見られず,リスク許容度の範囲内で意思決定権限を下位層へ移す必要があるとされた例があります.
つまり,「承認者を増やせば増やすほど安全」というほど単純ではない.
僕は,ごく一部にあるかもしれない事故を恐れて,通常案件まで全部同じ重いプロセスへ乗せることに疑問があります.事故が起きるたびにチェックを一個追加して,誰も古いチェックを消さなければ,そりゃ永遠に重くなります.
そしてチェックが増えると形骸化してまた新しいチェックが生まれる.
今の新入社員は思うはずです.これなんのために書くの?と.
不正防止と,業務の意思決定は分けた方がいい
もちろん,権限を下げれば何のリスクもないとは思っていません.不正な取引や金の扱いなど,会社として防がなければいけないことはあります.
だからノーチェックにしろという話ではありません.
僕が疑問なのは,不正を防ぐための仕組みと,通常の業務判断を全部「上の人に決裁してもらう」という同じ方法で解決しようとすることです.
内部統制の考え方にも,権限や職責を適切に分けること,職務を分掌すること,リスクを評価して対応することなどがあります.上司一人が何でも見れば内部統制完成,という話ではありません.
だったら,経理や法務の専門家をもっと現場に近いところへ配置して,通常案件はそこで判断する方法もあると思っています.難しい案件や本当に危ない案件だけ専門部門や上位者へ上げればいい.
もちろん,人を置けば人件費はかかります.そして「今までそんな配置をしたことがない」と言われるでしょう.
でも,技術者を含む大量の現場社員が契約や経理寄りの作業へ時間を使い続けるコストは,なぜか見えにくいんですよね.
この話は別の記事でちゃんとやります.僕は,技術者が専門外の契約決裁まで抱える構造自体,かなり変だと思っています.
1分で決裁できるところまで,まず短く説明しよう
僕が理想だと思う流れはシンプルです.
まず決裁者が短いサマリーを見る.それだけで判断できるなら決裁する.説明が必要なら,その案件だけ呼んで話を聞く.そして,もっと下で判断できる案件は,そもそも上まで持ってこない.
これなら,資料を簡潔に作る側にちゃんとメリットが生まれます.今は逆です.資料を減らすと準備不足に見える可能性があり,たくさん準備して質問へ即答した方が評価されやすい.
そりゃ資料増えるよ.
僕は短く説明する能力にはかなり価値があると思っています.1分ですべてを説明する必要はありません.1分で決裁の核心まで持っていく.詳細は必要になってから話す.
偉い人にしかできない仕事は,ハンコを押すことじゃないと思っています.現場で結論が出ない問題を一緒に考えること,他部門を動かすこと,現場には取れないリスクを判断すること.
そこに時間を使ってほしい.
そして現場には,もう少し判断させてほしい.
心構え:現場を信じろ.会社のブランドなんて,そう簡単に傷付かん.
君が明日からできること:次の決裁資料は,最初の1枚を「1分で決裁できる資料」にしてみよう.
以上,ご清聴ありがとうございました.
参考文献・参考資料
・上山晋平「予算管理と稟議制度の関係についての一考察」メルコ管理会計研究,2017.
・浅井希和子「日本企業の意思決定システムについての一考察――組織階層を超えた意思統一のプロセス――」日本経営学会,2018.
・Strategy&, “The Bureaucracy Measurement Index: A systematic way for companies to assess the burden of red tape”.
・金融庁・企業会計審議会「財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準」,2023.
